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土曜8時に「新しいカギ」がレギュラー化!!土曜8時の伝説を振り返る!!

10月改編期にてフジテレビはコント番組「新しいカギ」を土曜8時に枠を移動することを発表しました。

土曜8時といえばかつてはドリフVSひょうきん族が国民的バラエティとして長い期間放映を続け、土曜8時視聴率戦争という言葉もできました。

今回はそんな土曜8時のTVを振り返ります。

[word_balloon id=”1″ size=”M” position=”L” name_position=”under_avatar” radius=”true” balloon=”talk” balloon_shadow=”true”]明日は学校も仕事も休みで娯楽もTVしか無い時代でしたからね[/word_balloon]
土曜8時ってそんな伝説の枠だったの?どんな番組やってたの?
60年代から90年代にかけて起こるTBS対フジテレビの視聴率戦争で次々と人気芸人さんが生まれた時代でもあった。その後めちゃイケも土8の伝統をしっかりと受け継ぎ人気番組となったので新しいカギのメンバーにも頑張ってほしい!!

土曜8時戦争とは?

土曜8時戦争とはTBSテレビフジテレビの土曜日8時〜のコント番組の視聴率戦争のことです。1960年代から始まり、90年代まで約30年間に及びます。

それは現在を第7世代と言われるお笑いの世代とも関連します。

コント55号の世界は笑う(フジテレビ)VS8時だョ!全員集合(TBSテレビ)

1968年4月フジテレビはお昼の帯番組でレギュターだった「コント55号」をメインに据えてコントの公開番組を開始しました。収録会場は新宿厚生年金会館大ホールで公開番組初のカラー放送でした。

新宿厚生年金ホール
出典:新宿経済新聞

コントというものをコンビ名とともに知名度を上げる番組となり、視聴率は30%を超えるのが当たり前となっていました。

コント55号
出典:キキミミレコード

1969年10月対するTBSテレビは「コント55号の世界は笑う」の影響で3〜5%視聴率が落ちてしまいます。

視聴率を回復させるために、コント55号の「スピードと即興力」に対抗するため「時間をかけた練り上げた笑い」しかないと、ザ・ドリフターズをメインに据えることを決めます。

荒井注時代
出典:日本の古本屋
お笑いメガネ
お笑いメガネ

なんと当時は志村けんさんは加入前で荒井注さんがいますね。読者の何名が荒井注さん知ってるんでしょうか・・・

全員集合も公開放送でしたがこちらは、公開生放送で芸人さんだけではなく女優さんや俳優さん、アイドルまでコントに参加させ、その回は視聴率25%を記録。

翌年の年末には45.7%を記録し、「コント55号の世界は笑う」を終了に追い込み、お化け番組と言われるその歩みを動き出していきます。

8時だョ!全員集合(TBSテレビ) VS 欽ちゃんのドンとやってみよう!(フジテレビ)

1974年ドリフターズは荒井注さんが脱退し、志村けんさんが新メンバーとして加入します。

しかし、その後2年志村けんさんは全くウケずドリフターズとしてのパワーが落ち始めた頃の1975年4月にフジテレビで「欽ちゃんのドンとやってみよう!」が始まります。

欽ちゃんのドーンとやってみよう
出典:ミドルエッジ

この「欽ドン!」は萩本欽一さん初の企画・主演番組で視聴者のハガキ投稿を中心に欽ちゃんのアドリブ力で成立させる番組でした。

一般人をドンドン番組に出演させて、良い子・悪い子・普通の子のイモ欽トリオは最初は素人同然ながら番組で人気者となります。

その他関根勤さん、松居直美さんや柳葉敏郎さんなどを総じて「欽ちゃんファミリー」という芸能界で事務所の垣根を越えたファミリーを作った番組になりました。

対する全員集合も1976年に志村けんさんが少年少女合唱団のコーナーで「東村山音頭」を初披露。

後に志村けんさんを代表する一曲となり、志村けんさんも大スターへの階段を駆け上がることになります。

1979年には加藤茶さんと志村けんさんのヒゲダンスが始まりちびっ子たちがこぞってマネをするほど大人気コントになります。

他にも志村けんさんの「カラスの勝手でしょ」がヒットするなど負けじと対抗していき、欽ドンは1980年に一旦終了。

復活するも月曜21時に移動し実質的に全員集合が欽ドンを退ける形となりました。

お笑いメガネ
お笑いメガネ

お化け番組全員集合の勢いが衰えないですね・・・

8時だョ!全員集合(TBSテレビ) VS オレたちひょうきん族(フジテレビ)

勢いの止まらない全員集合とドリフターズでしたが、1981年2月仲本工事さんと志村けんさんの二人による競馬のノミ行為が発覚します。

二人は1ヶ月謹慎となり、その間ドリフターズは三人で活動を行います。

ノミ行為とは?

馬券を他人に買わせて配当金の一部を譲渡する行為。反社会的勢力が関わったといわれている。

店長
店長

全員集合になってませんね。ノミ行為アカン!!

6月には放送で使った志村けんさんの人形がギロチンにあう演出があり、この演出が残酷だとして抗議が殺到し、視聴者離れが始まります。

そして10月漫才ブームにあった当時、フジテレビで人気のあったツービート、明石家さんま、紳助竜介、片岡鶴太郎、山田邦子等当時高校生から大学生などの若者をターゲットにした「俺たちひょうきん族」が始まります。

さまざまな芸人さんが出演者を決めて一緒にコントをやる「ユニットコント」がひょうきん族では武器でした。

中でもビートたけしと明石家さんまのたけちゃんマンのコントはのあみだババアブラックデビルなどヒットキャラを次々と生み出していきます。

ひょうきん族
出典:Sound Cloud

1985年9月ついにお化け番組と言われた「8時だョ!全員集合」が最終回を迎えます。

お笑いメガネ
お笑いメガネ

また世代交代が起きた瞬間でもありましたね

オレたちひょうきん族(フジテレビ) VS 加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ(TBSテレビ)

しかし翌86年暮れにビートたけしさんを始めとするたけし軍団のフライデー襲撃事件によってたけしさんは謹慎、島田紳助さんも盲腸で入院と人気芸人が出演不可能となります。

86年1月から全員集合の流れを受けて始まった「カトちゃんケンちゃんごきげんテレビ」が始まっており、どちらかといえば家族全員で見られるTV番組でした。

中でも視聴者がホームビデオを撮影して投稿するコーナーは世界初の試みでこの後世界中にこのフォーマットが輩出されることとなります。

カトちゃんケンちゃんごきげんTV
出典:タワーレコードオンライン
お笑いメガネ
お笑いメガネ

視聴者ホームビデオのコーナーは日本が最初だったんですね

一方ひょうきん族では、たけしさんが復帰したものの収録に来ないこともあるなど勢いが衰えていきます。

局内でも「志村けんのだいじょうぶだぁ」「とんねるずのみなさんのおかげです」が始まり、視聴率もひょうきん族より高視聴率を連発するようになったことで、89年10月ひょうきん族も終焉を迎えます。

その後の土曜8時について

その後土曜日8時枠は日本テレビテレビ朝日なども対抗する番組を作成してきます。

90年にひょうきん族が終わったフジテレビは「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば」でドラマや映画のパロディコントを得意としてマモーミモーナンチャンを探せ!が人気コーナーとなり人気番組となりました。

やるならやらねば
出典:RENOTE

日本テレビは「マジカル頭脳パワー」というクイズ番組を開始。

今までのクイズ番組と違い、あるなしクイズなどのひらめきも必要なクイズ番組として司会者に坂東英二さん、回答者に所ジョージさんや間寛平さんといった芸人さんだけではなく、千堂あきほさんといったトレンディ俳優さんや、俵孝太郎さんなどの文化人を置き人気を博しました。

マジカル頭脳パワー
出典:アメブロ

テレビ朝日はバラエティ番組ではなく、時代劇「暴れん坊将軍」をスタートさせ、毛色が違うのが今までなかったターゲットを取り込み成功しました。

暴れん坊将軍
出典:Amazon

まとめ

この記事でわかったこと
  • コント55号VSドリフで始まった土曜20時視聴率戦争
  • ひょうきん族、カトちゃんけんちゃん、ウッチャンナンチャンとお笑い番組がガチでぶつかっていた
  • マジカル頭脳パワーという人気クイズ番組も始まった
  • 現在は第7世代の新しいカギが放送中

というわけで長丁場になってしまいましたが最後までお読みいただきありがとうございました!

また次回をお楽しみに〜

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