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【日テレの視聴率男!】ヒデちゃんこと中山秀征は芸人か?若い頃はABブラザーズというコンビ芸人だった!

「DAISUKI!」「夜もヒッパレ」「PON!」など日本テレビで数々の人気番組を支えてきたヒデちゃんこと中山秀征さん。

若い頃はコンビとして活動し俳優としても活躍していたことをご存知でしたか?人気関西芸人との冷戦の噂など中山秀征さんの若い頃のことを調査してみました。

ヒデちゃんの若いころってどんな人だった?仲の悪かった関西芸人って誰?
かつてはお笑いコンビ「ABブラザーズ」として活動していた中山秀征。今田耕司との軋轢もあったが名司会者として今後も長く活動してくれそう!!

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中山秀征プロフィール

幼少期からスターを夢見ていた

本名:同じ (なかやまひでゆき) 1967年7月31日生まれ 群馬県藤岡市出身 神奈川県川崎市立柿生中学校卒業

実家は「中山縫製」という工場を営んでおり、従業員の休憩時間に殿様キングスやフィンガー5などのモノマネをして歌謡ショーのマネごとをして過ごしていました。

5歳の頃地元の遊園地でフィンガー5のイベントがあり、数人がステージに上がり一緒に唄えるコーナーがあったのですが並んでいた中山さんの前の子で締め切られ、「ステージに立ちたい」と強く思うようになりました。

小・中学生は「芸能界野球大会で活躍したい」という理由で野球部に入りアクションもできるように器械体操もはじめ、かっこいいサインが書けるように書道も習い始めました。

中学生の時にはたのきんトリオを真似て「クソガキトリオ」を結成。この頃には自分のサインを書けるようになっており写真週刊誌に過去の自分が掲載されないように女子生徒との2ショット写真は断っていました。

お笑いメガネ
お笑いメガネ

この頃からプロ意識強すぎですね笑

ヒデちゃんの憧れたのきんトリオとは?

1980年代前半に活躍したジャニーズの3人組で田原俊彦さん野村義男さん近藤真彦さんの頭文字をとって作られたユニットです。

正式なユニットではありませんでしたが3年B組金八先生第1シリーズに出演していたことで人気に火がつき人気アイドルとなりました。

出典:X

中学3年生で単身上京

14歳で児童劇団に入団し「火曜サスペンス劇場」に出演しデビューします。

地元では話題になりますがその後オーディションに落ち続ける日が続き中学卒業後東京近郊の高校に進学するために中学3年生で神奈川県川崎市に単身移住します。

知人や学校の先生の家に下宿しながら色んな芸能事務所のオーディションを受けましたがうまく行かず、人間関係でも田舎と都会のギャップに苦しんでいました。

中山さんはこの頃を振り返り「自分でもわからない、無鉄砲だった」と語っっています。それでもスターになることを諦めずオーディションを受け続けます。

若い頃はABブラザーズというコンビ芸人だった!

所属事務所が決まるがお笑いを勧められABブラザーズ結成

1984年渡辺プロダクションのオーディションに歌手として合格します。

しかし、本人曰く「歌も芝居もイマイチ」で当時のマネージャーに「バラエティーで天下を取れば全部やれる」と言われバラエティ路線へ変更し、「BIG THURSDAY」というお笑いタレントグループに所属します。

お笑いメガネ
お笑いメガネ

BIG THURSDAYには後にホンジャマカの石塚英彦さんもいました

1985年松野大介さんとコンビ「ABブラザーズ」を結成

フジテレビ「ライオンのいただきます」でアシスタントとしてデビューします。

ラジオ番組「ABブラザーズのオールナイトニッポン」も始まり、女性人気も博した人気コンビとなります。

出典:X

コンビとしては見切りをつけられ解散個人で活躍

1989年に「いただきます」を降板すると人気は下降していき、ネタ番組でも披露するネタがなくなっていきマネージャーから「コンビとしての負けを認めろ」と見切られてしまいます。

そのマネージャーから「お前は一人でも戦っていけるから」と単独での俳優やバラエティ番組の司会が増えていきABブラザーズも自然消滅していきます。その頃の中山さんとの関係性をモチーフにして松野さんは芸人失格という長編小説を書いています。

以降「東京ラブストーリー」や「デパート!夏物語」などの人気ドラマや「DAISUKI!」「THE夜もヒッパレ!」などの日本テレビを代表する人気番組のMCを務め人気司会者としての地位を築き始めます。

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今田耕司との軋轢

関東VS関西

まだダウンタウンが東京進出する前はABブラザーズがこの世代の関東を代表するお笑いコンビで人気のあった中山さんを中心として東京のバラエティ番組は編成されていると言っても過言ではありませんでした。

その後ダウンタウンや今田耕司さん、東野幸治さんなどの吉本勢が東京進出すると中山さんは関西勢の芸人から敵視され、松本人志さんの著書「遺書」では直接名前は書かれてないものの「レギュラー番組十数本を持っていることを自慢するタレント」を批判する内容の文章が掲載され、業界内では共演NGではないかと言われていました。

殿様のフェロモンでバチバチ

1993年土曜深夜に昔人気のあった「オールナイトフジ」を踏襲した「殿様のフェロモン」が始まります。

後のめちゃイケメンバーとなるナインティナインやよゐこ、極楽とんぼなど若手人気芸人が多数出演し、主題歌にはブレイク直前のシャ乱Qが起用されアシスタントには後に超人気女優となる常盤貴子さんがいました。

それをまとめるMCに関東の若手筆頭中山秀征さん。

関西の若頭的存在だった今田耕司さんがキャスティングされました。

当時は中山さんと今田さんの人気はかなり差があり、今田さんは「売れるために必死だった」「特に関東の芸人にナメられたくなかった」と楽しい番組を作りたかった中山さんと番組に対する考え方に相違があり、側から見て決して二人の仲はいいものとは言えませんでした。

中山さんも「こっちがプロレス(既定路線)をやろうと思ったらUWF(ガチの勝負)だった」と振り返っています。

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雪解けさせたのは元ザブングル松尾

番組終了後17年間中山さんと今田さんの交流はありませんでしたが2011年ザブングルの松尾さんが間に入り、食事会いをしたことで二人は和解し、その夏のフジテレビ27時間テレビで殿様のフェロモンが復活します。

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和解の2年後女性誌の対談企画で二人は対談し、

今田さんは「当時テレビのことをわかっていたのはヒデさんだった。今の自分だったら理解できるけど、あの当時はまったく理解できてなかった」「『あのときの俺は間違ってた』って今はハッキリ思う」「当時いちばんスターの秀ちゃんが、いちばん被害を受けたと思う。ほんまに申し訳ないとしか言いようがない」と語っています。

その他の番組でも当時尖っていた今田さんと中山さんの話が多く語られています。

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現在は日曜の朝の顔として活躍!

視聴率男として数々の番組MCとして活躍

中山さんは「ウチくる!?」「TVおじゃマンボウ」「DON!」など数々の人気番組のMCを務め今では「シューイチ」で日曜の朝の顔として大活躍中です。

「クイズタイムショック!」「ドレミファドン!」は不定期のクイズ番組ではありますが長くメイン司会者は中山さんから変わっていません。NHKラジオ「クイズ イマジネーター」やニッポン放送「有楽町で会いまSHOW」ではラジオ番組で数々のゲストと番組を盛り上げています。

唯一結果が出なかったもの

そんな中山さんが唯一結果が出せずに挫折したものがボウリングです。

1995年ボウリングが得意とプロボウラーを目指すことになり忙しい合間を縫って練習、正月にはアメリカまで行き武者修行をしてプロテストを受けましたが不合格。

15ゲームを2日間行い一次選抜の最低ライン「185」に遠く及ばない150.2と残念ながら不合格となってしまい翌年もチャレンジすると言ってましたがその後プロテストに挑戦することはありませんでした。

まとめ

この記事で分かったこと
  • 中山秀征は幼い頃から芸能界に憧れがあった
  • 中学3年で単身群馬県から上京
  • 松野大介さんとABブラザーズを結成
  • コンビとしての負けを認めて解散
  • 司会者として多くの番組のMCで大活躍
  • 関西から来たダウンタウン、今田耕司などからライバル視され共演しても上手く噛み合わず
  • 元ザブングル松尾さんの仲介で仲直りし、今は和解
  • 実はプロボウラーになろうとしたがこれだけは上手くいかなかった

パパとしてお馴染みの中山秀征さんの今後の活躍に注目ですね!今回も最後までお読みいただきありがとうございました。また次回をお楽しみに〜

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