2023年タレントパワー・ブレイクランキングで9位にも入り、大ブレイク中のぱぁーてぃちゃんのセンターでリーダー菅ちゃんNO.1さん(以下菅ちゃん)は想像を絶する少年時代を過ごしていました。とても多感な時期に起きた菅ちゃんの壮絶な人生をご紹介いたします。
ぱぁーてぃーちゃんのセンター菅ちゃんの壮絶な人生とは?苦難を乗り越えた先には明るい未来が待っている!
実はこの話強烈すぎるエピソードが故にはいろんな芸人さんに刺さっているので今後テレビなどでも数多く話されるかもしれませんのでぜひ最後までご覧ください。
ぱぁーてぃーちゃん菅ちゃんNO.1プロフィール
本名:菅野ナオト
生年月日:1999年8月21日生まれ
出身:山形県山形市出身
菅ちゃんは3歳の時に実母を病気で亡くしお父さんは別の女性と再婚し出ていってしまったため、祖父母や伯母に引き取られ生活をしていましたが祖父が亡くなったことをきっかけに祖母が施設に入所し、伯母さんも東京に行くことになり別居することになりました。
実はこのおばぁちゃんとも血が繋がっていないことがのちに判明しました
幼くして親戚が離れ離れなためお盆休みに帰省することもなくただただ自転車に乗っていた少年時代でした。寂しい気持ちもありましたが友人に言うこともできず一人で過ごす時間が長かったようです。
中でも自宅近くの馬見崎川の景色を見るのが好きだったようです。
ある日占い師から「今人生の分岐点だから迷ったら行く方を選びなさい。」と言われ帰ると面倒を見てくれていた伯母さんが泣いていて「生活が大変だから一緒に東京に行こう」と言われましたが菅ちゃんは行かないことを選びます。
当時なぜか主人公になった気分らしく中学生にして一人暮らしが始まります。同級生などには隠していたため友人でも知っていた人は少なかったそうです。
お昼のお弁当も一人暮らしがバレないように母親が作ったようなおかずと見た目に気をつけるなど涙ぐましい努力を続けてきました。しかし大人になってから同級生との飲み会で「全部わかってたよ」と言われてしまいました。
高校は地元の山形学院高校に進学。バドミントン部で入学してから相当モテていたらしく卒業式には袖のボタンまでなくなったとのことでしたが当時の彼女にYouTubeで電話したところ「そんな事はなかった・・・」と否定されていました。
霞城セントラルというところでよくデートしていたようです。
高校3年生の進路を決めるときにもう一度この馬見崎川の景色を見て上京を決意します。
最初は芸人ではなくTVの制作を目指し東京の専門学校に通うために上京します。祖母とは普段あまり仲良くなかったが東京に旅立つ日にくしゃくしゃにしたティッシュに5000円を包んで渡してくれました。
そんなおばぁちゃんですがいざ東京に行くと先回りして東京にいたそうです。
専門学校を卒業後通販番組専門の制作会社に就職しADとして働き始めます。その後専門学校時代の同級生からお笑いコンビを誘われて芸人になります。
まとめ
普通だったら菅ちゃん自身に一人暮らしで苦労したことに責任はなく親のことを恨んでいそうですが菅ちゃんは親のことは全く恨んでいないそうです。
この時の経験があったためとてもメンタルが強く悩むことも少ないそうです。
AD時代にもボヤ騒ぎを起こしたり、生放送中に火災報知器を鳴らしたりとたくさんのミスがありましたがそれでもやめなかったのはこの時の経験が生きているのかもしれないですね。
ぱーてぃーちゃんは今まで信子さんときょんちぃさんにスポットが当たってきましたが最近は芸人さんやバラエティ番組で菅ちゃんをイジるようになってきたので今後の活躍にも期待したいですね!
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最後までお読みいただきありがとうございました。
また次回をお楽しみに〜