チャンス大城さんが自らのエッセイ「僕の心臓は右にある」を発売しました。アメトーーク!でAマッソ加納さんもおもしろい本に紹介してました。
「千原ジュニアの座王」や「人志松本のすべらない話」でも語られてきたおもしろいエピソードトークはもちろん、その半生もチャンスさんならではでとてもおもしろいのでご紹介したいと思います。
- チャンス大城のエッセイなんて絶対おもしろそうだけどどんな内容?
- チャンス大城さんはどうしようもなく底辺の芸人だが地道に続けてきたことで今では人気芸人に!どんなに逆境でもなんとか逃げ道を歩き続けることがとても大事!!
家族もやっぱりおもしろい
チャンスさんはブラホック製造工場に勤めるお父さんと老人ホームに勤めるお母さんのもとに兵庫県尼崎市に生まれました。
お父さんはいつも寝不足の久米宏さんみたいな顔をしていて、伊丹市にあるブラジャーのホックを作る工場で働いていました。
「ワシが日本の女性の胸を守ってるんや」
が口癖のとても仕事に誇りを持っているお父さん。大城家はクリスチャンで聖歌隊にも所属していました。
しかし、お父さんはあまり上手ではなくいつも音程が外れていました。ある日お父さんは聖歌隊を戦力外になってしまいます。
ものすごく落ち込んでいたお父さんでしたが、半年後には見事復活を遂げます。
それはなんと口パクでした。ただでは終わらないお父さんが可愛いですね。
昭和の古き良きお父さんという感じですね
お母さんはとても背の低いお母さんだそうです。
老人ホームで介護の仕事をしており、利用者さんとの仲もとても良いようです。
大城さんとお笑いを出合わせたのもお母さんでした。
元々漫才や落語が好きでうめだ花月に連れて行き「あんたおもろいから芸人になり!」と芸人を進めたのもお母さんでした。
そんなお母さんはとても目立ちたがりで、働く老人ホームで息子のチャンスさんと漫才をすることになりました。
しかし、緊張したのか完全にネタを飛ばしてしまいます。
さらにハプニングは続き、プールのネタで準備運動の深呼吸で「吸って、吸って、吸って」吐くのを忘れるというボケだったのですが、目の前で見ていた利用者のおじいさんも一緒に息を吸い続けてしまったために倒れてしまい救急搬送されてしまいました。
お父さんもお母さんもなかなかパンチの効いたエピソードを持っていますね。
2つ上のお兄さんはお風呂が苦手らしく常に痒くなった頭を掻きむしるため、いつも頭から血を流していました。
一度寝てしまうとなかなか起きないお兄さん。ある日頭部の血が寝てる間に固まってしまい起きたら枕がくっついてきたこともあります。
そんなお兄さんは爪を切るのも苦手でした。
高校生の頃爪が伸びすぎて歩くたびし爪が床に当たる「カチッ・・・カチッ・・・」とするようになっていました。
さすがにお母さんもなんとかしなくてはならないと思い、チャンスさんと二人がかりで寝るとなかなか起きないお兄さんの習性を利用して爪を切ることを実行に移します。
普通の爪切りでは切れないためにカッターと画用紙を準備してお母さん。
爪と指の間に画用紙を挟みカッターをノコギリのようにして爪を切る作戦でしたが力が入ってしまったのか画用紙をカッターが貫通して刃が指に刺さってしまい、飛び起きたお兄さん。
足を抑えながら片足でピョンピョン飛び跳ねながらその度に爪が床にあたる音がタップダンスをしているようでまるでビートたけしさん監督の映画「座頭市」のようだったとチャンスさんは記しています。
友達や学生時代の話もおもしろい
チャンスさんの人生は幼い頃から高校卒業までずっといじめられっ子でした。
チャンスさんは「内臓逆位」という心臓や胃、膵臓、脾臓などすべての内臓が左右逆転しているのですが、当時「北斗の拳」という大人気漫画に「サウザー」というかなり強い敵キャラがいました。
このサウザーは内臓がすべて逆についているので、主人公の北斗ケンシロウの秘孔を突く攻撃が効かないという設定だったのですがチャンスさんも同じ内臓逆位ということでサウザーというあだ名がつきます。
中学時代サウザーというあだ名が一人歩きしてしまい、隣の中学の喧嘩番長の間で噂になりある日チャンスさんへ殴り込みに来ました。
しかし、全くケンカしたことないチャンスさんは番長に事情を話しました。
すると番長は
「お前両親おらんやろ、それか片親か」「こんな寂しい目をしているやつ初めてや」「お前ら帰るぞ」
と帰ってしまったそうです。
その番長も施設で育ち、両親がいなかったそうです。
目は口ほどにものをいうと言いますからね。良い話ですね。
良い話ですか?
小学校の時に仲が良かったウメヤマ君というクラスメイトがいました。
ウメヤマ君は小学校の壁新聞のテーマでマンホールの中はどうなっているのか、町中のマンホールの中の地下道を調べ上げ水路の地図を作り上げていました。
地下最強になったウメヤマ君は同じクラスのお金持ちシブカワ君が家族で別荘に行くために豪邸が留守になる情報を得て池に飼っている錦鯉を食べたいと言い出します。
錦鯉って食べれるんでしょうか・・・結構匂いがキツそう・・・
チャンスさんもウメヤマ君に付き合うこととなり、マンホールから水路を利用してシブカワ家の敷地内のマンホールに上がりました。
ウメヤマ君とチャンスさんは池に飼われている錦鯉を捕まえたのはよかったのですが、番犬に見つかってしまい二人に近づいてきました。
そこでチャンスさんはなんと「二人でやられるより一人でも助かった方がいい」と思い、一人でマンホールから逃げてしまいました。
学校でウメヤマ君に会うと体中に絆創膏を貼っていたウメヤマ君。
そんなウメヤマ君は
「オオちゃん、地上では負けるけど、地下では負けへんからな」とチャンスさんに言い放ったそうです。
ウメヤマ君は何と戦っているんでしょうか・・・
定時制高校に入学したチャンスさん。クラスメイトには55歳になって入学したコダマさんというクラスメイトがいました。
ある日どうしても合コンのメンバーが一人足りないことに悩んでいた、チャンスさんとカミムラ君は他のクラスメイトに次々と断られ、最後の手段としてコダマさんに声をかけたらあっさりOKされ一人58歳のおじさんを10代の合コン連れて行くことになりました。
相手の女の子グループには先生を連れてくるなと怒られましたが、なんとか納得してもらいましたが話が盛り上がるにつれてコダマさんはついていけなくなり寂しそうな顔になっていきます。
一人でお酒が進んでしまったコダマさんは、ついに女性たちに絡みはじめ「グラスに注いでから飲みなさい」「もっと野菜を食べなさい」と説教を始めた挙句、第二次世界大戦のガダルカナル島の戦いで苦労した話をし始めてしまいました。
カラオケでは軍歌を歌い号泣するコダマさん。周りのテンションと反比例して上がるコダマさん。
女性グループとも別れ、ふと気になったチャンスさんはコダマさんの年齢を計算するとガダルカナル島の戦い当時コダマさんは6歳でした。
でしょうね。いくらなんでも当時すでに戦後40年以上は経ってますからね
4時ですよーだの素人コーナーで優勝
いじめられ続けた中学3年生の時、お母さんに連れて行ってもらったうめだ花月で、新喜劇にでている間寛平さんを見て、お笑いを志すようになります。
そして意を決して当時同じ尼崎出身のダウンタウンがやっていた人気番組「4時ですよ〜だ」の素人コーナーに出場するのを決意します。
近所の友達の口グセ「オッヒョヒョ」をブリッジにしてモノマネなどのショートネタを作り、御堂筋駅の高島屋デパートを見て「僕、やっぱり芸人になろう」と胸に誓います。
オーディションにも見事合格。本番もうまく行き審査員の松本さんにもハマり見事優勝しました。
しかし、優勝商品のゲーム機は次の日にはいじめっ子に取られることになってしまいます・・・
14歳でNSC8期生に入学したチャンスさん。同期には千原兄弟・バッファロー吾郎・FUJIWARA・なだぎ武さんなどがいました。
14歳で一番年下のチャンスさんはよく千原兄弟が二人で住むマンションに泊まっていました。
その日ジュニアさんは用がありおらず、せいじさんも疲れていたのかすぐに寝てしまいました。何もすることのないチャンスさんが辺りを見回すとそこには大人の本がありました。人生で初めてみる大人の本を夢中になって読んでいるとせいじさんが起きてきてしまいました。
せいじさんはチャンスさんの目を見て
「おまえ、その執念、忘れるなよ!」
と言い放ちました。
この言葉はチャンスさんの座右の銘になっています。
恋の話もおもしろい
チャンスさんは吉本NSCを一度辞めて入り直しています。2回目のNSC大阪13期生には野生爆弾・ブラックマヨネーズ・チュートリアル徳井などがいましたが後に他事務所でクワバタオハラを結成するくわばたりえさんもいました。
13期生は仲がよくいつもみんなで遊んでいたそうですが、ある日チャンスさんの肘がくわばたさんの体に触れてしまい、その瞬間に感電したかのようにチャンスさんはくわばたさんのことが好きになりました。
動物園に一緒に絵を描きに行ったとき、ちょっと天才ぶりたかったチャンスさんはゾウをピンク色に塗ったところくわばたさんは「それはそれでありやな!」と優しく寄り添ってくれました。
くわばたさんはトントン拍子に出世していきますがチャンスさんはいつまで経っても売れることもなく格差ができてしまい自然消滅してしまいました。
東中野のセブンイレブンでバイトをしていたチャンスさん。
夜中の3時頃にあごにホクロのある派手な格好をした美人の若いお姉さんがタバコを買いに来るようになりました。
必ずハイライトを買うお姉さんにチャンスさんは一目惚れしてしまいました。
なんとかお話をしたいチャンスさんはそのお姉さんがレジに来ると頼まれる前にカウンターにハイライトを差し出しました。
「私の銘柄覚えてくれてるんですね」「お名前オオシロさんていうんですね」
チャンスさんの作戦は大成功でした。そこから少しずつ仲良くなりそのお姉さんはミュージシャンであることがわかりました。
初めてテレビで歌う時もチャンスさんに教えてくれました。名前を聞くと
「椎名林檎と申します」
その後チャンスさんはセブンイレブンをクビになってしまい椎名林檎さんと会うことも無くなってしまいましたが林檎さんはどんどん売れていってしまいました。
チャンスさんが好きになる女性はものすごく出世していきますね!何か持ってるのかも?
ブレイクのきっかけは千原兄弟!
2013年38歳の時360°モンキーズの山内さんから誘われ居酒屋に行ったチャンスさん。
その居酒屋のオーナーはなんと千原せいじさんがオーナーをやっている居酒屋「せじけん」でした。
山内さんがチャンスさんをせいじさんに紹介すると同期で家に泊まりに行ったこともあったのですが
「覚えてへんなー。どんなネタやってたんや?有名なフレーズとかないか?」
というのでブリッジに使っていた「オッヒョッヒョ」を見せると
「お前あのオヒョッヒョやないか!みんなー!オッヒョッヒョが来たでー!」と喜んでくれました。
チャンスさんもせじけんでバイトをするようになり、その後千原兄弟のトークライブ「チハラトーク」に出演もさせてもらいました。
その後「さんまのお笑い向上委員会」にもせいじさんの推薦で出演することが出来ました。
2017年秋「人志松本のすべらない話」へ出演が決まったのはジュニアさんがスタッフへの推薦がありました。
何十年も動くことのなかった人生の歯車が動いた気がしました。収録日の4日前には「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」で優勝もしました。
「山に埋められた話」はネットでも話題になりチャンス大城の名前は一気に世間に知れ渡りました。
まとめ
- 工場勤務の父と介護士の母のもとに育った
- 3つ上の姉と2つ上の兄がいて兄は足の爪を意地でも切らない
- サウザーというあだ名をつけられ隣町の番長から目をつけられる
- 4時ですよーだの素人コーナーで優勝
- 芸人になりクワバタオハラのクワバタと付き合っていた
- コンビニでバイト時代お客さんできた椎名林檎に一目惚れした
- 千原兄弟のおかげでブレイク
もちろんここには書ききれなかった面白いエピソードがまだまだたくさんあります!
今人生で落ち込んでいる人や逆境にあると思う方は読んでみたら元気が出ると思いますのでぜひ手に取ってみてください!
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
また次回をお楽しみに!