テレビ朝日で放送されている人気バラエティ番組「有吉クイズ」に、2020年に認知症を公表した漫画家の蛭子能収さんが出演し、話題となりました。今回は、蛭子能収さんの現在の暮らしぶりについて、迫ります。
認知症になった現在でもバラエティ番組に出演している蛭子さんに、今までと変わらず接する有吉さんに高齢化社会を迎えている日本の介護のカタチが見えますので、介護に悩んでいる方もぜひご覧ください。
この記事でわかること
- 蛭子さんがなった認知症ってどんな病気?
- 認知症になると人の記憶はどうなる?
- 認知症の方への接し方は?
- 蛭子さんは今でも元気?
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蛭子能収プロフィール
蛭子さんは元々漫画家ということを知らない方ももしかしたらいるのではないでしょうか?まずは蛭子さんのプロフィールをご紹介します。
蛭子能収 (えびす よしかず) 1947年10月21日生まれ 長崎県長崎市出身 長崎市立長崎商業高校卒業
少年時代、今までの漫画により表情を細かく描写した「劇画」と言われるジャンルに衝撃を受け劇画誌をよく読んでいました。映画にも興味を持ち少し過激な映画も好きでよく映画館に通っていました。
中学生になると地元のいじめグループからいじめにあうことが多くなり、いじめてくる相手を漫画の中で殺すという漫画を描いてモヤモヤを発散していました。
この頃の夢は会社の事務員になりたいというちょっと地味な夢でした
高校生になると美術クラブに所属し、高校卒業後地元の看板屋に就職しながらも漫画サークルに所属し、漫画を描くことを続けていました。
23歳のときに「大阪万博を見に行く」と嘘をついて上京します。出版社や映画会社へ就職しようとしますが高卒を理由に断られ、結局また看板屋で働き始めます。
この看板屋さんにも厳しい先輩がおり、毎日のように理不尽に怒られていた蛭子さんは寮に戻ると漫画の中でその先輩を殺していました。
26歳で漫画家デビューしますが、発行元の出版社が経営難に陥いったため原稿料がもらえず、私生活でも結婚し長男が生まれちり紙交換やダスキンの営業の仕事などをしていましたが生活は楽にはならず、生活保護を受けないと生活が送れないほど困窮していました。
漫画家として生活できるようになったのは34歳頃からで、劇団乾電池の柄本明さんから舞台のポスター画を依頼されると「笑っていいとも!のプロデューサー」の目に留まり、文化人として出演したのを皮切りに続々とバラエティ番組に出演するようになります。
天然エピソードやギャンブル狂なところがバラエティでウケ始め、次々とTV番組に出演するようになります。
中でも路線バスのみで旅をする「路線バスの旅シリーズ」は俳優の太川陽介さんとのコンビで喧嘩をしながらも目的地を目指し人気番組となりました。
73歳で認知症の診断を受ける
厚生労働省の推計によると、2025年には、65歳以上の高齢者のうち約5人に1人(約500万人)が認知症になるとされています。2020年73歳で蛭子さんも認知症の診断を受けました。
2020年7月TV東京「主治医が見つかる診療所」で前から、マネージャーや奥さんから「物忘れが進行している様子がある」との指摘があり、認知症の専門病院で検査したところ「レビー小体型認知症」と「アルツハイマー型認知症」を併発していることがわかりました。
認知症は、脳の働きが衰えて、記憶や思考、判断などの能力が低下する病気です。
主な症状として・・・
- 物忘れがひどくなる
- 会話がわかりにくくなる
- 同じことを何度も聞く
- 方向感覚がなくなる
- 計算が難しくなる
などの症状が現れます。
認知症にはたくさんの種類がありますが
主に脳の神経細胞が死んでしまう「アルツハイマー型認知症」
脳の血管が詰まったことで発症する「脳血管性認知症」
脳内に異常なタンパク質が貯まることで発症する「レビー小体型認知症」
その他にも様々な認知症がありますが、原因や症状は様々でまだ解明されていない部分も多くある病気です。
本業で認知症の方と向き合っていますがそれほど悲観的になる病気では無いですよ。
蛭子能収さんの絵は、独特なタッチとユーモアあふれる内容が特徴です。認知症発症後も、その特徴は変わらず、多くの人から支持されています。
蛭子能収さんが絵を描き続けられる理由は、以下の2つが考えられます。
- 絵を描くことは蛭子能収さんのライフワークである
蛭子能収さんは、漫画家としてデビューする前から、絵を描くことが好きでした。絵を描くことは、蛭子能収さんの人生の一部であり、生きがいのようなものなのです。
- 蛭子能収さんは、認知症の症状をコントロールできている
蛭子能収さんは、認知症の症状をコントロールするために、薬を服用したり、リハビリをしたりしています。そのおかげで、絵を描くための基本的な能力を維持できていると考えられます。
蛭子能収さんの活動は、認知症患者にとっても、大きな希望を与えるものです。認知症になっても、好きなことを続けることができることを、蛭子能収さんは証明してくれています。
認知症になると物忘れがひどくなるイメージがありますが関わりが強いものや古い記憶は最後まで残ってることが多いですね。
かつてバラエティ番組で共演の多かった有吉弘行さんはTV番組「有吉クイズ」のコーナーで蛭子さんに会いに行く企画を度々行っています。
有吉さんが実際に蛭子さんの元を尋ねると、顔の表情は少し戸惑いがある様子ですが、有吉さんのことをしっかり覚えており笑顔も見られていました。
今までと変わらず少し小馬鹿にしてイジる有吉さんに、蛭子さんは爆笑して蛭子さん自身も有吉さんに会えたことが嬉しかったようです。
まとめ
- 蛭子さんは漫画家になるまでとても苦労があった
- 漫画家だった蛭子さんは笑っていいとも!を皮切りにバラエティ番組でブレイク
- 2020年に認知症の診断を受ける
- 会いに行った有吉弘行に笑顔で接しとても嬉しそうだった
認知症の進行を少しでも遅らせるには笑顔になることと手先を動かしたり、役割を与えて責任を持つことだと言われています。
周りの人たちのサポートもあり、蛭子さんはとても元気でたくさん共演した有吉さんのこともしっかり覚えてました。
蛭子さんは今後もその笑顔が続くことを願いたいですね。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
また次回をお楽しみに〜