お笑いの世界には様々な軍団があります。竜兵会、軍団山本、マハロ(フジモン軍団)など様々な軍団がありましたが40年前から存在していた大きなお笑い軍団がたけし軍団です。
たけし軍団はTV界だけではなく、スポーツ界、出版業界などにも大きな影響を与えるお笑い史でも影響力の高い軍団でした。
今回はそんなたけし軍団のメンバーや歴史、様々なたけし軍団が起こした事件をご紹介します。
- たけし軍団って昔あった気がするけどどんな軍団だった?
- 殿であるたけしさんのために人生を賭けた絆の強い軍団!空回りしてることもあるけど今も元気に活動中!
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たけし軍団とは?
ビートたけしさんに弟子入りした1980年代初期〜86年くらいのメンバーを三軍制にしたものが「たけし軍団」と言われています。一番多い時の人数は外国人も含め1000人を超えていました。
たけし軍団の総帥でありながら他の軍団員はたけしさんのことを「殿」と呼ぶのが特徴です。
これは萩本欽一さんが「大将」と呼ばれていたことから1984年5月師匠と呼んだ人は罰金制にして「殿」と呼ばれるようになりました。
たけしさんは弟子に変な名前をつけることで有名ですがそれはその名前でも芸人としてやっていくかどうかを試しており故・立川談志さんの影響です。
納言の幸さんもたけしさんが命名してましたね。
- 東国原英夫(そのまんま東)
- 大森うたえもん
- 松尾伴内
- ダンカン
- 柳ユーレイ
- ガダルカナル・タカ
- つまみ枝豆
たけしさんの一番弟子は東国原英夫さんで逃げるたけしさんにどこまでも走って追いかけてたけしさんが根負けして弟子入りしたのがきっかけです。
初期メンバーはこの8人ですが井出らっきょさん、グレート義太夫さんが草野球目的で後から加入したと言われています。
出典:PR TIMES
たけし軍団が起こした事件
たけし軍団は当時大人気のビートたけしさんの弟子ということでたけしさんの番組などに数多く出演していました。
全員が殿であるたけしさんを陶酔しており、たけしさんのためなら何でもする強い絆で結ばれており故の事件が多数あります。
たけしさんが野球好きで結成された野球チーム「たけし軍団」は草野球界ではかなりの強豪チームで有名でした。
プロ野球に入ってもおかしくないレベルの選手を揃えた「東京ファイターズ」や業界最強と言われていたアパレルブランド「NICOLE」のチームに勝つなど知名度も実力もとてもレベルの高いチームでした。
当時はまだ高校卒業したばかりのとんねるずや逸見政孝さんの息子太郎さんも助っ人として参加していました。
1991年オフ阪神タイガースファン感謝祭で阪神の二軍チームと対戦して4−2で勝ったことが話題となりました。
普段プロ野球で使っている硬式球ではなくアマチュア用の軟式球を使っていたこと。
阪神のメンバーにコーチなどの現役を離れた選手も入っていたためどこまで本気だったかはわかりませんが翌日のスポーツ紙に大きく載る程の出来事となりました。
翌年にはロッテにも勝ったそうですよ
ポップコーン正一正二が上手かったですね
1986年12月9日3時頃、ビートたけしさんとたけし軍団12人が写真週刊誌「フライデー」の出版元である講談社の編集部を襲撃する事件が起きました。
・フライデー襲撃事件参加メンバー
- ビートたけし
- ガダルカナル・タカ
- そのまんま東(東国原英夫)
- ダンカン
- 大森うたえもん
- 柳ユーレイ
- 松尾伴内
- 大阪百万円(たけし軍団セピア)
- キドカラー大道(たけし軍団セピア)
- サード長島(たけし軍団セピア)
- 水島新太郎(たけし軍団セピア)
ことの発端は当時たけしさんが交際していた21歳の専門学校生にフライデーの記者が取材のため前方に立ち塞がりボイスレコーダーを顔に突きつけ、手を引っ張るなどして全治2週間の負傷を負わせたことが発端です。
このことを知ったたけしさんは激怒し、講談社に講義の電話をかけましたが治らず、軍団のメンバー11人を集めフライデー編集部に乗り込みました。
たけしさんは最初は手を出さないことを軍団と約束していましたが編集次長の挑発的な態度に「ぶち殺すぞ!この野郎!」と叫び、粉末式消化器を噴射し編集部員らに暴行し肋骨骨折など全治1ヶ月〜1週間の負傷を負わせました。
住居侵入・器物損壊・暴行の現行犯で警察に逮捕されました。
連行時にたけしさんは軍団メンバーに「悪かったな、お前ら」「お前らの面倒は一生見るから」「おれ、ドカタしてでも、お前らを食わせるからな」と語っていました。
翌年東京地方裁判所はたけしさんに懲役6ヶ月(執行猶予2年)の判決を下し、他のメンバーは起訴猶予処分となり半年間の謹慎処分に入ります。
1987年「ビートたけしのオールナイトニッポン」の企画から生まれ、たけしさんを首領として結成されました。
出典:Number Web
オイラがプロレスファンという事もあるけど、最近のプロレスに感じられなくなった。力道山時代の熱気を、ぜひ取り戻したいと思った。
ビートたけしのオールナイトニッポンより
「手始めにアントニオ猪木に挑戦したい」と宣戦布告し番組内で練習生を募集します。
練習生には後の人気レスラーとなるスペル・デルフィン、邪道、外道も応募してきました。
ガダルカナルタカさんとダンカンさんが新日本プロレスの事務所に出向き山本小鉄さんに挑戦状を渡しますが「プロレスを舐めるな!」と門前払いに合います。
後に直接リングに上がりアントニオ猪木に挑戦状を渡しました。
12月27日両国国技館大会にてビッグ・バン・ベイダーと共に参戦しました。しかしこの日のメインはアントニオ猪木VS長州力が決まっており「いつ何時誰の挑戦でも受ける」猪木さんはベイダー戦を承諾します。
長州力はセミファイナルのタッグ戦に組み込まれ観客の「辞めろ」の大コールの中長州組の勝利でしたが試合時間は6分。
その後怒りのおさまらない長州力は「俺が猪木を倒す」と猪木に挑戦しますがセコンドの馳浩が乱入し長州力の反則負け。
メインの猪木VSベイダーも猪木の3分も持たずフォール負けと強引なカード変更と試合の体たらくぶりにプロレスファンは大激怒。
罵声が鳴り止まないほどの事態となり、新日本プロレスは両国国技館を無期限の貸出禁止になりました。
出典:デイリー新潮
長年プロレスをやってきてあんな惨めなことはなかった
引用元:デイリー新潮
これは後に社長となるアントニオ猪木の一番弟子藤波辰巳の言葉です。プロレスをゴールデンタイムに残すための苦肉の策だったかもしれませんが結果は大失敗で、たけし軍団にも新日本プロレスにも大事件となりました。
1994年8月2日午前1時37分ミニバイクを運転していたたけしさんは右カーブを曲がりきれず道路左脇のガードレールに衝突し、東京医大に救急搬送されました。
この事故の第一発見者は元光GENJIの諸星和己さんと言われています。
右側頭部頭蓋骨陥没骨折、脳挫傷、右頬骨複雑骨折で長期入院が加療が必要と診断され、面会謝絶の状態というニュースが日本中を駆け巡りました。
深夜たけし軍団のメンバーと別れ、独り愛人のところへバイクを走らせていたところでの単独事故でしたが緊急手術により一命は取り留めたものの記者会見ではかなり後遺症も残っており今までのたけしさんとは違う表情でした。
出典:Abemaブログ
7ヶ月仕事を休み復帰しましたが、今でも事故の影響で受けたダメージで頭を真っ直ぐにすることができません。しゃべりも事故前と事故後で聞き取りやすさが全く違います。
言語聴覚士によるリハビリは行ったのでしょうがここまでが限界なのでしょう。事故を起こしたミニバイクはたけし軍団の方へのプレゼントだったそうです。
まとめ
- たけし軍団はビートたけしさんをトップとして最初は8名で結成された
- 昔は強豪草野球チームとして評判で阪神やロッテに勝つこともあった
- フライデー襲撃事件で半年の謹慎期間を受ける
- 単独バイク事故にあうがそのバイクはたけし軍団のメンバーへのプレゼントだった
まだまだたけし軍団の皆さんには元気に活躍してほしいですね!
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
また次回をお楽しみに〜