みなさんは2015年〜2019年まで放送されたクレイジージャーニーという番組をご存知ですか?
松本人志さん小池栄子さん設楽統さんの3名をMCに世界中のディープでクレイジーな旅をジャーニー(冒険者)に同行取材し、日本に住んでるだけでは知り得ない世界を知ることのできる面白い番組でした。
そんなクレイジージャーニーが1年半ぶりに復活するそうです!このコロナ禍の中よく取材してくれました!
番組内で活躍していた有名ジャーニーさんのことを調べてみました!今回は芸人さんの紹介とは少し違いますがぜひご覧ください。
このニュース見た時はテンション上がりましたねー!!楽しみ!!
クレイジージャーニーが終了した理由はやっぱりやらせ?
簡単にいうとやらせです。
珍しい生物を捕獲する企画にてロケ前に準備していた生物あたかもその場で発見したかのように放送していたました。
過去にも同様の企画で37種のうち11種が予め準備されていたものでした。
この事態を受け2019年10月21日番組終了を発表しました。
犯罪ジャーナリスト・丸山ゴンザレス
丸山さんはフリーのジャーナリストとして日本の裏社会や海外危険地帯の取材を重ねていて「犯罪ジャーナリスト」と自ら名乗っています。
大柄の体でかなり危険な地域に自ら取材に行き、ながらもその小さいことは気にしない人間性かと思いきやちょっとお茶目なところもあったり、人気ジャーニーの一人でした。
主にスラム街や麻薬密売地域、マンホールタウンなど自分の身を危険に晒し取材する姿となぜか憎めないあどけないキャラのアンバランスさが人気の一因だったのでしょう。
失恋をきっかけに世界を旅するように?
仙台市出身で父親が国鉄職員だったこともあり、旅行好きだった丸山さんは大学に入り上京します。当時若い人たちがカバン一つで海外旅行に行くのが流行していました。
「大学2年の夏休み、女の子にふられたのをきっかけに旅に出ました。最初の旅ではタイに2カ月行きました。1カ月10万円でやりくりする貧乏旅行です」
出典:東洋経済オンライン
失恋きっかけで初の海外一人旅ってもっとかっこいい気がするんですけど丸山さんがするとなんか可愛いですね。
その後もアジア各国を一人で旅するようになり、大学にも行かず旅行を続けていました。(大学は無事卒業できたそうです)
しかし、このアジア一人旅が丸山さんの人生を大きく動かします。測量会社に勤めていた丸山さんでしたが出版会社に勤務する大学時代の同級生から「うちの編集長が話を聞きたがってるんだけど、会わない?」と声をかけられます。
編集長とその時の学生時代の旅行の話で盛り上がり、本を出版することになりました。
直前に測量会社が倒産し丸山さんはそのままその出版会社で編集者として働くことになりました。
現在は仕事をするうえでなるべくストレスを減らすよう努力しているそうです。
それはキツイ仕事を減らすのではなく、嫌な仕事を減らす作業だそうです。
「大変な仕事でもやりたい仕事ならいいんです。“海外のスラム街の取材”とかは難易度が高いけど、やりたいからストレスにはならないんです。逆に難易度は低くてもイライラする仕事はダメなんです。話の合わない編集者とか、勢いだけだったり、コントロールしたがったりする編集者と記事を作る仕事は正直もうしたくないですね。一緒に作っていくって感覚を共有できる人がいいです」
出典:東洋経済オンライン
あの危ない取材はやりたい仕事なんですね。
TVを見てるといつ危ない目に遭わないかハラハラしてみてますけどくれぐれも無理はしないで欲しいですね。
奇界写真家・佐藤健寿
佐藤さんはクレイジージャーニー最多出演のジャーニーで世界中の奇妙な事物や風景を博物学・美学的な観点から撮影する「奇界遺産」写真家です。
「奇界」という言葉は佐藤さんの造語「奇界遺産」は商標登録されています。
そのかっこいいビジュアルやオシャレなファッションも注目されているジャーニーです。
中学時代は写真よりも音楽が好きでギターを一日7時間は練習していました。
18歳で法政大学に入学しますが絵や音楽に携わりたくなり退学。
武蔵野美術大学映像学科に入学します。卒業後一旦はWebデザイナーとして就職しますが肌に合わず辞めて渡米します。
アメリカでフォトグラファーの原型を学ぶ
アメリカで写真や映像を学び、現地で撮っていた写真が日本の出版社の目に止まり写真集として出版されることになりました。
ネットにすら詳細が出ていないネバダ州米空軍が管理するエリア51を撮影するようになりそこは、宇宙人やUFOが噂されている場所で当時流行していたWebサービスに投稿するとすごい反響があったそうです。
その後もヒマラヤの雪男の頭皮や南米のUFO村など約3年間撮影に行っていたのがフォトグラファーのきっかけになったそうです。
奇怪的な歴史の遺産・軍艦島
クレイジージャーニー本編でも取材されていた、長崎県の軍艦島に行った際のその壮大さはものすごく当時炭鉱の街として栄えていた待が閉鉱と共に人がいなくなり生活感がまだ残っているその様はまさに奇怪でした。
寝坊癖もそのまんまなんですかね・・・
少数民族写真家・ヨシダナギ
ヨシダナギさんは主にアフリカをはじめとする世界少数民族や先住民を被写体とする写真家です。
被写体とする民族との距離を近づけるために民族衣装を自ら着用するスタイルで知られるジャーニーです。
幼少期からTV番組で見るマサイ族をみてアフリカ人に憧れを抱くようになったヨシダさんは10歳ころからいじめに遭い、家に引きこもり出版社の人とメールでやりとりするようになります。
その人物がヨシダさんのホームページを作り、そこに創作した物語を描き始めプロフィール用に写真を載せると芸能事務所から声がかかりグラビアアイドルとして活動を始めます。
初めての海外で写真家へ
21歳から一人暮らしを始めますが、グラビアアイドルは向いてないと感じ引退します。
母親からフィリピンに留学する子供たちのサポートの手伝いを頼まれ、初の海外だったフィリピンで撮影した子供たちの写真をブログに載せたところ、褒められたのをきっかけにカメラを片手に東南アジアを回り始めます。
東南アジアでは思ったほど驚きを得られず、23歳でアフリカに向かいます。
駆け引きなしでぶつかっていく・三度目のアフリカで全裸に
3度目のアフリカ渡航の時、カメルーンの山岳地帯に暮らすコマ族との撮影でコマ族の女性は上半身は裸で、下半身は葉っぱで隠していました。
このとき、着替えを手伝ってくれた長老の4人の妻たちに反対されながらもパンツも脱いだところ、女性たちは歌いだし、歓喜の舞でヨシダさんを歓迎しました。
単純に、そのときはいてたパンツがダサかったんですよ。黄色い生地にイチゴが全面プリントされているボクサーパンツで、その上に彼らと同じ葉っぱや腰ひもをつけられたら、そっちのほうがいやらしかった。やっぱり彼らと同じ完璧なコスプレをしたくて、中途半端なのがイヤだったので必死でパンツを脱ぎました。
写真を撮る方、撮られる方の関係性を取っ払って対等な関係で撮る写真は本当に神々しさがありますね。
爬虫類学者・加藤英明
加藤さんは日本の爬虫類学者で静岡大学の講師も務められています。
希少生物の爬虫類を見つけると子供のように怪我を恐れず追いかけ続ける姿は「爬虫類ハンター」と言われています。
「鉄腕DASH」や「池の水全部抜いてみた」などにも出演されてますね。
カメルーンの密林でハントした回は第44回放送文化基金賞を受賞しました。
道具を使ったらフェアじゃない
加藤さんは必ず素手で爬虫類を捕まえます。著書「爬虫類ハンター」では「道具を使ったらフェアではない。素手で挑むからこそ価値がある」と矢沢永吉バリの名言を冒頭から書いています。
明るいキャラとは違い昏睡強盗に遭わないように勧められた飲み物は絶対手をつけない。
日本人がいる宿は金品目当ての強盗に狙われやすいから宿を変えるなどハンターだからこそ自分がハントされないように執拗に気をつけているそうです。
まとめ
この他にもいろいろなジャーニーさんが本当にクレイジーな世界を教えてくれるクレイジージャーニー本当に楽しみですね!!
今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。
また次回をお楽しみに