とんねるずの木梨憲武さんが自伝を書きました。タイトルは「自伝みなさんのおかげです」幼少期や石橋貴明さんと出会うことになる帝京高校のことお笑いスター誕生からオールナイトフジ、みなさんのおかげですに至るブレイク期、奥さんの安田成美さんとのことまで赤裸々に書いてあるのでご紹介します。
とんねるず木梨憲武の半生とは?そこから得られる学びとは?
木梨憲武の幼少期
ノリさんといえば東京祖師ヶ谷にある木梨サイクルの長男であることはよくTVで話してましたね。家族は無口で職人気質のお父さん、お父さんと真逆の性格で愛想が良くとても優しいお母さん。3歳下の妹の四人家族で育ちました。
時代背景としては「高度経済成長期」真っ只中ではありながら隣近所が助け合って暮らしていた時代でした。みんな上を向いて前向きな雰囲気が充満していたのを幼いながらも感じていたようです。
木梨家は静岡県伊東市に実家がありそこには父方の両親が住んでいました。そんなおばあちゃんはノリさんに3つのことをよく言っていたそうです。「あいさつはちゃんとしろ」「人様に迷惑をかけるな」「調子にのるな」このことは後の人生にとても生きてきます。
小学生だった1970年代カラーテレビが普及し、ノリさんも夕方学校から帰ってくるとテレビにかじりついていました。「8時だよ!全員集合」「シャボン玉ホリデー」「傷だらけの天使」などが好きだったようです。次の日には昨日見たTVのモノマネでクラスの人気者だったノリさん。今でも自分はこの時の自分が大人になった「永遠の小学3年生」を自負しています。
ノリさんといえばとてもサッカーが上手く名門帝京高校出身です。そのサッカーとの出会いは小学生の頃友人に誘われて入ったサッカースクールに入り入り13軍まであるチームの中ですぐにすぐに2軍のチームに入れました。小学校6年生の時には西ドイツでFIFAワールドカップが開催されオランダのヨハン・クライフや西ドイツのゲルト・ミュラーなどが活躍しノリさんも熱狂してサッカーにハマっていきました。
中学では2年生ながらレギュラーになると身長も170cm以上に伸び高校進学はその年の全国サッカー選手権に出場した「帝京高校」以外にない!帝京高校でサッカーやればやれば面白くないわけがないという根拠のない自信がありました。
帝京高校・石橋貴明との出会い
帝京高校に進学しすぐにサッカー部に入ったノリさんですがこの年の新入部員はなんと130人もいました。しかも全国中の実績もありレベルの高い中学生が集まりノリさんはあまりにもレベルが違うことにビビるかと思いきや逆に周りには一流しかいないことに高ぶったそうです。
そしてこの頃の運動部でよくあったのが俗にいう「かわいがり」で先輩が理不尽な理由で後輩にキツめの指導をすることがよくありました。これを何とか回避するためにノリさんは先輩たちと上手く付き合うために日頃からの気遣いを見せます。
- 長距離走で10位以内に入らないと距離が伸びるが上位でゴールすると目をつけられるので9位か10位でゴールする
- 3年生のユニフォームやスパイクを洗うことは先輩に名前を覚えてもらうチャンスだと捉える
- 頼りになる先輩や憧れの先輩には自分から挨拶して早く顔と名前を覚えてもらう
このような処世術で先輩からのお説教が始まる時に仲良くなった先輩に声をかけてもらいかわいがりを免れていました。
当時の帝京高校サッカー部は70年代3回80年代2回全国優勝をする超名門であり、ノリさんの代の同級生にも後にJリーグの前身日本サッカーリーグで活躍する名取篤選手や川添孝一選手がいました。1年からレギュラーとなりノリさんはこの選手たちと同じサッカー部でいることに刺激を感じどんな辛い練習でも辞めようとは思いませんでした。
川添孝一さんはノリさんのサッカー企画でもよくTVに出てましたね。真ん中は監督の小沼さんです。
高校3年の最後の大会もメンバーには入れませんでしたが帝京高校は全国優勝し、スタンドでの応援にはなりましたが最高の青春の宝物を手に入れました。大好きだったサッカーを本気でやって上には上にいることを痛感しましたがやり切ったことでノリさんは大学推薦も断りサッカーを辞めることにしました。
タカさんとは高校3年間同じクラスになったことはありませんでしたが野球部のチーム盛り上げ役がタカさん、サッカー部の盛り上げ役がノリさんという共通点がありました。タカさんはモノマネやスタンドからの応援でかなり目立っていて新聞に写真付きで紹介されたこともありました。
高校卒業前に校内の謝恩会にてタカさんが同級生に「なんか面白いことやって」とフラれた時に誘ったのがノリさんでした。何もネタ合わせなどはせずにその場で内輪ネタのモノマネで大爆笑をとってこれがノリさんには快感でした。
高校卒業前ノリさんとタカさんはそれぞれピンでTVジョッキーの素人コーナーで優勝するなどTV番組に出始めていましたがまだ二人でコンビを組む形ではありませんでした。1980年「所ジョージのドバドバ大爆弾」という番組のオーディションに初めてコンビとして二人で出ることになりました。あらかじめ知名度があったこともありオーディションに合格し、番組内でもしっかり手応えをつかみました。
その番組のスタッフから「お笑いスター誕生!」へのオファーを手にします。「B&B」「おぼん・こぼん」「シティボーイズ」など後のお笑いブームで活躍することになる芸人さんが多数出演していた人気番組です。初めてプロとしてプロ相手に芸をしましたがプロの世界ではあまり評判は良くありませんでした。
それでも審査員のタモリさんからは「なんだかわからないけどおもしろい。君たちはそれでいいよ」との言葉をもらい、CM出演のオファーも舞い込み「とんねるず」がスタートします。
その後のとんねるずは説明不要の大人気コンビとなります。オールナイトフジではTVカメラを倒し、夕焼けニャンニャンのMCで当時の大人気アイドルおニャン子クラブと夕方に若者がいなくなる社会現象が起き、ベストテンでは興奮したファンとマジゲンカ。とんねるずのオールナイトニッポンでは女王美空ひばりさんを呼び出しゲスト出演させる。NHK紅白歌合戦は前身色塗りで出禁を食らうなど数々の伝説を作ります。
安田成美との結婚
ノリさんの奥さんで女優の安田成美さんとの出会いは映画での共演でした。当時ノリさんは24歳安田さんは19歳でした。ノリさんと恋人役の安田さんにノリさんが役に入りすぎてしまったせいか安田さんのことを好きになり撮影の最終日に「ご飯に行きましょう」と誘い、「あ、わかりました」とOKをもらったのですが、ノリさんはデートのつもりで誘ったのですが安田さんはこの後ご飯に行くと思ってたそうで結局しばらくの間デートはできませんでした。
後日とんねるずのオールナイトニッポンにゲストで出演した安田さんにノリさんはもう一度アプローチしてようやくデートができる仲になりました。ノリさんは安田さんと付き合いたくてグイグイ言っていたのですが安田さんの決心がつかず断っていましたが最後には根負けしたようです。
二人とも人気者のためマスコミにバレずにデートできる場所をノリさんは考え伊東のお墓に行くことにしました。東京から約2時間30分ドライブをして途中食事をしたりするのがとても楽しかったそうです。初めて実家に安田さんを連れて行った時も「たぶん彼女と結婚するから覚えておいて」とかなり本気の様子で、最初に会ったときから決めていました。
ノリさんが安田さんの家に住み込むようになり、安田さんは20代のうちに結婚したかったらしくどうするのか詰められると即座に「お願いします!」とそれがプロポーズになりました。結婚式は船上でたくさんの芸能人が集まりとても豪華だったようです。
後から聞いた話だと安田さんは25歳くらいの時からノリさんとの結婚を意識していたそうで「ものすごくポジティブで根っから明るくて何があってもこの人となら最終的には問題なくなるだろう」と思っていたそうです。
その後3人の子供に恵まれノリさんはいい父親ではないけど安田さんがしっかりしてるからと、とても幸せそうです。
まとめ
常にポジティブ!どんなに逆境でもその逆境を楽しむと物事は好転する!
長年続いた「とんねるずのみなさんのおかげでした」も終了し今では「生活の些細なことをていねいに深く味わうことが幸せでたまらない」と言います。これまでのことは今からを楽しむ準備期間だと思い奥さんや家族と過ごす時間が増えたことでとても楽しく生活しているようです。
それでも今後のことも考えており、11月にはとんねるずのLIVEが日本武道館で3日間予定されており、安田成美さんとの旅行番組もやりたいそうです。
まだまだとどまることを知らない今後の木梨憲武さんの活躍にも要注目ですね。
最後まで読んでいただきありがとうございました。また次回をお楽しみに〜