2024年パリオリンピックから新種目となるブレイキンという競技をご存知でしょうか?
昔はブレイクダンスと言ってましたが名称をブレイキンと統一してオリンピック種目となりました。
そのブレイキンでナイナイの岡村さんのダンスがスゴいと話題です。
元々岡村さんは天然素材、めちゃイケでのオファー企画でのSMAPライブや劇団四季、オカザイルなどでもその運動能力の高さを披露していました。
その礎となった若き日の岡村さんのダンス歴と苦い思い出をご紹介致します。
- オリンピック新種目のブレイキンを岡村隆史がスゴい上手いって本当?
- 梅田ではちょっと有名な顔になった岡村隆史は大学受験を一芸入試で受験するも「ブレイクダンスはダンスじゃない」と言われ大恥。しかし芸人になってからはダンス経験を活かし大活躍!ブレイキンは2024パリ五輪から新種目に!
目次
岡村隆史とブレイクダンス
小さい頃からジャッキーチェンやブルースリーなどのアクション映画が大好きだった岡村さん。そんなジャッキーチェンの映画の帰り道にブレイキンと出会いました。
小学6年から中学に上がる頃、日曜日に大阪・梅田で映画を見終わった帰り歩行者天国を歩いていると体をぐにゃぐにゃしたり、後ろ向きに滑っていってる人などとにかく面白い動きをしている人に岡村さんの目が止まりました。
いろいろ調べ出したら、そういうのをブレイクダンスって言うことを知った岡村さんはそこからもう毎週のように歩行者天国に見に行くようになりました。
自分でもスーパーで「ダンボールください!」って言って、「それで何すんの」って言われて「いや、ちょっと使うんです」って。ちょうど僕の環境も良かった。家の前が空き地やったんですよ。ちょっと芝生があったんで段ボールを敷いて。ぐにゃぐにゃするやつはやり方がわからなかったんで、背中やったら回れるかなって、見よう見まねでばーってやり出したのが最初ですね。
引用元:NHK
ある日、高校生のお兄さんに「きみ毎週来てるやんなあ。踊り好きなん?」って言われて「好きです」って言ったら、「ほな、ちょっとやってみたら」と言われ言われるがままやることになりました。
それまでにめちゃくちゃ練習してたので、ぐりぐりって回ると、「上手やん、こんど一緒にやろうや」とANGEL DUST BREAKERSに誘われました。
毎日練習して新しい技をどんどん覚えて、幼稚園から機械体操を習ってた岡村さんはバク転バク宙もできるので、なんか練習したらすぐ技ができるのでチーム内でも評判になりました。
岡村さんはのちのオリンピックメダリスト西川大輔さんと同じ体操クラブに通ってました。
これ自分で言うのもあれですけど、たぶん当時の※ノーハンドのウインドミルは関西で一番速かったはずです。その時言われましたもん。「どうやって回ってんの?」って。僕は(学校の)クラブに入ってなかったので、学校が終わったら体育館で練習して、夕方の4時5時ぐらいまでは、見回りの先生がけえへんまでやってましたね。帰ってからも家の前の空き地でダンボール敷いて毎日練習してました。
※ノーハンドのウインドミル:背中を中心にして、手を使わずに脚の遠心力を利用して回転する高難度の技
引用元:NHK
練習すればするほど難しい技もマスターしていく岡村さん。
チーム内からも「KID」とあだ名を付けられ一躍梅田のストリートダンス界ではちょっとした有名人になります。
自分の思い描いたように決まった時、技やらそういうのを自分のイメージで、なんとなくこんな感じでいこうと思ってても、それ以上に体が勝手に動いたりとか、きれいにフリーズが決まった時は「うわーっ!!」ってなるんですよね。なんか変なテンションの上がり方というか「決まった!」っていう。ブレイキンはそういう時があるんですよね。
引用元:NHK
ブレイクダンスはダンスじゃない!大学受験での苦い思い出
高校に入学し相方の矢部さんとサッカー部の先輩後輩として出会った岡村さん。
サッカーも頑張っていましたがブレイクダンスもサッカーの練習後に続けていました。
高校3年生となり、サッカー部も引退し進学先を考え始めた岡村さん。
第2次ベビーブームもあり受験者数が多く大学進学もなかなか難しい時代でしたが、親友から大阪芸術大学には一芸入試制度があることを教えてもらい得意のブレイクダンスで入学しようと受験を決意します。
受験日受験場所に到着すると全員レオタードを着ていて岡村さんだけジャージ姿でした。
『プリエ!』って言われた瞬間、震え上がって。『何やそれ!?』って。『プリエ』って言われて、鏡の横のバー持って、バレエ特有の下がったりする動きあるやん。ミュージカルでやるような、よく分からん動作。そんなんしたことないけど、見よう見まねでやったよ。あれはたまらんかったで
引用元:スポニチannex
面接試験では試験官にダンスの経験を尋ねられ「ブレイクダンスでチャンピオンになったことあります!」と自信満々で答えると「それはダンスじゃないです」と一蹴され当然結果も不合格。
翌年の入試結果を見ると男子2名受験合格者1名と自分だけが落ちたことがわかってしまいました。
岡村さんはこの話をラジオで何度もするほど大恥をかいた事件だそうです。
現在では舞台芸術学科にポピュラーダンスコースがあり、ストリートダンスを学ぶコースがあるそうです。
岡村さんがずっと言ってきたからなのか・・・どうなのか・・・
芸人になるとこのブレイクダンスの経験が武器になります。
吉本印天然素材ではダンスフォーメーションのセンターに抜擢され、めちゃイケではSMAP、モーニング娘。、EXILE、三浦大知とライブにサプライズ出演という形ではありますが忙しい中、数日で振り付けをマスターし、ほぼ完璧に踊っていました。
そしてNHKでのブレイキンの大会の中継にはゲストで呼ばれるほどその実力が話題になっています。
2024年パリオリンピックより新競技としてブレイキンが正式種目として採用されることになり、34年前「それはダンスじゃない」と言われたブレイクダンスが認められ屈辱を晴らすことができました。
そんなことになると夢にも思ってなかったです。やっぱり今まで見たことがないブレイキンはオリンピックでも衝撃を受けると思いますよ。「これ何?」みたいな。みんな他の競技はどういうものかわかるじゃないですか。例えば体操とか野球とかサッカーとか。でもブレイキンって見た時に、多分パニックなると思います。これは本当に人間が やってることなのか?と。みんなびっくりすると思いますよ。
引用元:NHK
岡村さんが今後ブレイキンの普及に深く関わっていきそうですね。
まとめ
- 梅田の歩行者天国でやっていたブレイクダンスに衝撃を受けて自分も始める
- ANGEL DUST BREAKERSのKIDとして梅田では注目を浴びる
- 大阪芸術大学の一芸入試にブレイクダンスで受けるが試験官に「それはダンスじゃない」と一蹴される
- ブレイクダンスの経験が身を結び芸人になってからは天然素材やめちゃイケで大活躍
人生には無駄なことは全くなくて、好きで極めたものは必ずいつか武器になるとてもいい例ですね。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
また次回もお楽しみに!