くりぃむなんたらが10月日曜22時にテレビ朝日に帰ってきます!!byお笑いナタリー
これまでのくりぃむ〇〇シリーズファンの方は歓喜なのではないでしょうか。
私もその一人です。と、いうことで今回はこれまでのくりぃむしちゅーの歴史を振り返ろうと思います。
- くりぃむ〇〇シリーズは今までどんなものがあった?くりぃむしちゅー結成からボキャブラブーム、改名、うんちくでブレイクとか色々教えて!!
- 高校で出会い海砂利水魚を結成し、人気の浮き沈みはあったがくりーむしちゅーに改名後は人気がうなぎのぼり。冠番組は長渕剛が出演するなど歴史に残る番組を作ってきたくりーむしちゅーの番組が22時枠で見られるので今から楽しみ!!
くりぃむしちゅー結成まで
プロフィール
立ち位置左:上田晋也(うえだしんや) 1970年5月7日生まれ 熊本県熊本市出身 早稲田大学教育学部中退 ツッコミ
実家はプロパンガス業者で、三人兄妹の次男です。
兄の啓介さんは熊本でプロデューサー兼タレントをやっており、くりぃむナントカに何度か出演経験があります。
幼少期は野球少年で高校からラグビーを始め、リーゼントヘアの番長タイプでしたが、硬派で女性に弱く後の相方有田さんからは「童貞番長」と呼ばれていました。
立ち位置右:有田哲平(ありたてっぺい)1971年2月3日生まれ 熊本県熊本市出身 立教大学法学部中退 ボケ
幼少期から裕福な家庭で育ち、小学校1、2年には日本舞踊を習っていましたが本人は覚えてないとのことです。
お笑いスター誕生が好きで小学校の文化祭では友人とコントを演じましたが、内容はいつの間にか服を脱いでいるという内容でした。
中学2年にはアメリカでホームステイしていた時期があります。
滞在最終日にステイ先のママから「あなたのが食べて美味しかったものを何でも作ってあげるわ」と言われ、有田さんは「この前のピザ屋さんのピザが食べたい」と言って家族をドン引きさせました。
二人の出会いとコンビ結成
二人は熊本県立済々黌高校の入学式で出会い、互いの共通の趣味であるプロレスの話で意気投合し、仲良くなります。
揃ってラグビー部に入部し、さらに仲良くなった二人はよく部員を一緒に笑わせていました。
それが礎となって今のくりーむしちゅーの笑いの原点だったと二人ともラジオ番組くりーむしちゅーのオールナイトニッポンで回想しています。
それぞれ一浪して上田さんは早稲田大学、有田さんは立教大学に入学します。
上田さんは芸人を志し、芸能事務所の履歴書を書こうと思っていた日に友人宅で有田さんに会います。
大学仲間との合コンで上手くいかなかった有田さんは「こんなことなら芸人にでもなってればよかった」と愚痴を言い始め、上田さんは「実は今日お笑い事務所に送る履歴書を書こうと思ってた」と偶然思いが一致し、一緒に履歴書を送ることになりました。
当時事務所の代表がコント山口君と竹田君の事務所に履歴書を送っており山口さんから「大学を中退して芸人になるか、卒業後に改めてチャレンジするか、どっちかに決めた方がいい」とアドバイスを受け、二人とも大学を中退し、それぞれ山口君と竹田君の付き人から芸能活動を始め、1991年12月海砂利水魚を結成します。
コント山口君と竹田君は高い演技力でコントそのものの認知度をあげたコント師の先駆け的存在ですね。
ボキャブラブームでブレイク
1992年から始まったフジテレビ系で放送されていた番組でその中の若手芸人がボキャブラネタを考えて順位を争うコーナーが番組化され、初回からキャブラーとして出演していた海砂利水魚は爆笑問題やネプチューンと一緒に人気芸人としてどんどん知名度を上げていきます。
キャッチフレーズは皆さんご存知「邪悪なお兄さん」ですね
いや、若い人はあまり知らないと思いますが・・・
しかし、爆笑問題やネプチューンはその後も冠番組を持つなど一気に人気芸人として駆け上がりますが、海砂利水魚は当時あまり明るいキャラクターではなく、特に女性ファンも少なかったため伸び悩んでしまいます。
海砂利水魚からくりーむしちゅーに改名
2000年TBSテレビで放送されていた、「新・ウンナンの気分は上々」で当時同じく伸び悩んでいたさまぁ〜ず(当時:バカルディ)と犬猿の仲という設定で出演し、改名を賭けて対決することになります。
最初は海砂利水魚が勝利し、バカルディがさまぁ〜ずに改名します。
すると、さまぁ〜ずは徐々に人気が出始め、期間限定の改名だったハズが改名後のコンビ名が定着してしまいます。
再び改名を賭けたビーチバレー対決に負けた海砂利水魚は有田さんが好きなくりーむしちゅーに改名することになります。
上田さんはこのコンビ名に納得いってなかったみたいですがくりーむしちゅーも徐々に人気が出始めてさまぁ〜ず同様くりーむしちゅーの方がコンビ名として定着していきます。
上田のうんちく有田のモノマネでブレイク
くりーむしちゅーとしてのコンビ名が定着し始めた2003年上田さんはテレビ朝日で放送されていた深夜番組「虎の門」の1コーナー「うんちく王決定戦」で優勝し、様々な番組でうんちくを披露し、当時は少なかったインテリ芸人としての一面もみせ露出が増え始めます。
一方有田さんは、ほぼ同時期にフジテレビの「伝わらないモノマネ選手権」でアントニオ猪木や高田延彦、長州力や佐々木健介などプロレスファンじゃないとわからないマニアックな部分のモノマネが世間に受け始め、それぞれピンでもTVに出るようになりブレイクします。
チョイスが昭和のプロレスなのでほとんどの人を置いていってるんですけど面白いんですよね
くりぃむ〇〇の歴史
2004年初の冠番組くりぃむナントカがテレビ朝日でスタート。
深夜枠でしたが、くりーむしちゅー二人の掛け合いやゲストとの絡みが好評で人気番組となります。
ほぼ毎回司会進行は有田さんが行い、上田さんがパネラーだったりゲストと同列扱いで有田さんが上田さんをイジる他の番組では見られないパワーバランスも番組の魅力でした。
「ビンカン選手権」や「芸能界NO2選手権」など好評なコーナーの中「長渕剛ファン王決定戦」では最後に長渕剛さん本人が登場するという長渕さんがバラエティ番組に出演する歴史的コーナーもあり高視聴率を毎週叩き出していました。
長渕さん本人が出演したのは第2回長渕剛ファン王決定戦なのですが第1回をみた長渕さんが「本人が出たほうが面白いだろう」と逆オファーで出演が決まったそうです。上田さんとワッキーさんの表情が面白いですね。
私はアシスタントの大木アナ対同期の前田アナのマイクパフォーマンスが大好きでした。
満を辞して2008年ゴールデンタイムに昇格しましたが、家族全員で見られるような、棘のない番組構成に視聴者はすぐに離れてしまい、半年で番組は終了してしまいます。
その後また深夜番組として「SOFTくりぃむ」としてくりーむしちゅーの冠番組が復活し半年ごとに「GORI GORIくりぃむ」「GARIGARIくりぃむ」「GURIGURIくりぃむ」「GIRIGIRIくりぃむ企画工場」「くりぃむナンチャラ」と番組名が変わりながらも同じスタイルで番組を続けてきましたが2021年10月より22時枠に昇格します。
まとめ
- くりぃむしちゅーは高校の同級生コンビ
- 海砂利水魚からくりーむしちゅーに改名してブレイク
- くりぃむナントカが復活!
- かつては長渕剛が出演で話題に
10月から日曜22時が楽しみですね!!今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。
また次回をお楽しみに〜