2014年終了から10年近くになりいいともがどんな番組だったか覚えていない方も多くなってきたのではないでしょうか?
今でも芸人さんでいいともの話をしたりネタの中でいいとものくだりが入っていてわからなくなっている方のためにも今回は笑っていいとも!がどんな番組だったか解説したいと思います。
当時は学校が休みの時しか見られないいいとも!を見てる時の特別感が半端なかったですね
この記事でわかること
- 笑っていいとも!ってどんな番組だった?
- 生放送で32年も続いたらいろんなことがあった?
- テレホンショッキングってどんなコーナーだった?
番組の構成とコーナーについて
笑っっていいともは正午スタートの1時間番組でした。
その構成について解説します。
正午の時報とともにイントロが流れ始まるオープニングテーマ「ウキウキウォッチング」が流れ、タモリさんんが中央から登場します。
一緒に唄っていた番組のアシスタントも務める、いいとも青年隊は不定期にメンバーが変わります。
初代 | 1982年10月4日〜1985年3月29日 | いいとも青年隊 | 久保田篤 野々村真 羽賀研二 |
2代目 | 1985年4月1日〜1985年9月27日 | 新いいとも青年隊 | 今村ねずみ 伊藤彰 森岡進 |
3代目 | 1985年9月30日〜1986年3月28日 | いいともスタッフ隊 | 佐々木宗彦 清水淳司 山縣慎司 吉田正樹 |
4代目 | 1986年3月31日〜1987年10月2日 | 半熟隊 | 神田利則 相田康次 |
5代目 | 1986年10月5日〜1989年3月31日 | チャイルズ | 磯野貴理子 衣笠りん 茂原裕子 |
6代目 | 1989年4月3日〜1990年12月28日 | K・Chaps! | 井谷真 塩ノ谷和康 中上雅巳 |
7代目 | 1991年1月7日〜1992年3月27日 | World Boys | 緒方光一 中川昌成 |
8代目 | 1992年3月30日〜1994年9月30日 | 工藤兄弟 | 工藤順一郎 工藤光一郎 |
9代目 | 1994年10月3日〜1997年3月28日 | あさりど | 川本成 堀口文宏 |
10代目 | 1997年3月31日〜2000年3月31日 | With T | 小笠原秀春 岸田健作 |
11代目 | 2000年4月3日〜2003年3月28日 | T3 | 小俣順一 関根禎剛 佐々木康雄 |
12代目 | 2003年3月31日〜2006年3月31日 | イワン&ジョン | イワン・ソーンツェフ ジョン・オコーナー |
13代目 | 2006年4月3日〜2008年3月28日 | まこと&かずき | 植野堀まこと 村中かずき |
14代目 | 2008年3月31日〜2010年4月2日 | リン・ナオミ | 鈴木凛 渡辺直美 |
15代目 | 2010年4月5日〜2011年9月30日 | いいともAD隊 | クルット ハリー |
16代目 | 2011年10月3日〜2014年3月31日 | noon boyz | 真田佑馬 野澤祐樹 |
磯野貴理子さんや工藤兄弟、渡辺直美さんなどその後人気者になった方もいますね
吉田正樹さんは「笑う犬シリーズ」プロデューサーさんですね。
タモリさんが歌い終わると両サイドからその曜日のレギュラーが登場し、番組が始まります。まずはOPコーナーが始まりその後この番組のメイン企画とも言えるテレホンショッキングが始まります。
その後企画が2つ程行われ、曜日対抗の通し企画などがあり、エンディングとなります。
笑っていいとも!といえばテレホンショッキングですね。
元々はタモリさんが憧れの女優・吉永小百合さんと伊藤つかささんに会いたいために友達の友達を繋いでいけばいつか会えるだろうと始まった企画です。
伊藤つかささんは1985年に初出演で共演が叶いましたが吉永小百合さんは結局最後まで出ることはありませんでしたが最終回グランドフィナーレで中継で出演し、早稲田大学の先輩・後輩である吉永小百合さんが出演することができました。
第1回のゲストは当時アイドルだった桜田淳子さんから始まり最終回ではビートたけしさんが出演しました。
1984年4月から1995年9月まで毎週金曜日には曜日レギュラーとして明石家さんまさんがいました。
明石家さんまさん出演のコーナーは丸テーブルが中央に1個あるだけでタモリさんとさんまさんが二人で時間いっぱいトークするコーナーでした。
このコーナー以外ほぼさんまさんは出演することもなく、それでもこのコーナーは二人のおしゃべりが楽しめる人気コーナーでした。
1988年その年の27時間TVの司会をさんまさんが断ったことに復讐しようとその日のいいともに泥酔状態で出演してさんまさんを困らせたこともありました。
生放送ならでは!?放送事故もすごかった!
笑っていいとも!は正午から1時間新宿のスタジオアルタで行われている生放送です。
生放送ですので後から編集ができずに全てが放送されています。
タモリさんは自ら音楽番組もやっているほど音楽には精通していますが、「フォークソングは嫌い」「歌詞が軟弱」と小田和正さんやオフコースのことを悪く言っていた時期がありました。
1984年テレフォンショッキングになんと小田和正さんが登場。
終始ピリピリとした空気が流れ、タモリさんが「次のアルバムはどんな感じ?」と聞くと「・・・まぁ興味ないだろうし・・・」と終始しどろもどろでした。
今は2014年にアナウンサーの披露宴(生野陽子アナ?)にて和解しているそうです。
小田和正さんを紹介したのは実は明石家さんまさんです・・・
1983年テレフォンショッキングにてゲストの席に突然乱入した素人青年が座り込み、困ったタモリさんはただ苦笑い・・・
青年はスタッフによって強制的につまみ出されスタジオにはお客さんの悲鳴が流れるということがありました。
後日談として青年には芥川賞の選出に言いたいことがあったそうですが・・・
テレホンショッキングはゲストが次の日のゲストに自分の友達を紹介するというコーナーだったのですが2013年ゲストの矢田亜希子さんが「お友達ではないんですけど、大先輩の女優さんで、私の大好きな大竹しのぶさんを」「はじめまして、矢田亜希子と申します」
以前より友達というのが建前だったのは
- 携帯電話が主流になる前から友達なのに電話番号を知らない。
- 誰一人スケジュールNGがいない
- 必ずと言っていいほどその時のドラマの出演者でゲストが回ってる週がある
この理由から明らかでした。
矢田さんがトドメを刺す格好になってはしまいましたが矢田さんのせいでテレホンショッキングが友達の輪ではないコーナーになってしまったようになってしまったのは残念ですね。
江頭2:50さんといえば「たくさんのレギュラー番組より一つの伝説を残す芸人でありたい」というほど破天荒なキャラの芸人さんですが、破天荒が過ぎてしまい出禁になった事件があります。
当時レギュラーメンバーだった脚本家の橋田壽賀子さんがコーナーゲストの江頭さんのトルコでの不祥事を口に出しかけたところを、橋田さんの口を江頭さんは口で塞ぐという暴挙に出ました。
大人気脚本家橋田壽賀子さんがレギュラーになったことは「渡る世間は鬼ばかり」が大人気だったこともあり、橋田さんをVIP待遇していた空気がありその橋田さんにハラスメント行為をした江頭さんはその後いいともで見ることはありませんでした。
伝説のグランドフィナーレへ
2014年3月31日夜のグランドフィナーレを持って32年間続いた「笑っていいとも!」は幕を下ろしますがそのグランドフィナーレが今も伝説になっています。
グランドフィナーレでは過去の名場面を歴代のレギュラーと一緒に振り返る企画が進行していました。
舞台上には明石家さんまさん、ダウンタウン、ウッチャンナンチャンがいてトークが進行していて、とんねるずの石橋貴明さんはあらかじめ番組スタッフから爆笑問題と一緒にこの段階では出ないでほしいと止められていました。
当時ダウンタウンととんねるずは不仲説が噂されていて爆笑問題は太田さんがダウンタウン松本さんのことを「アディダスの広告塔」と揶揄したことでトラブルがありました。
松本さんが次々と芸人が出てくる展開に「こういうことすると、とんねるずが出てきてネットが荒れる」と発言したことで石橋さんも火がつき、爆笑問題と一緒に舞台へ乱入。
次に登場予定だったナインティナインも岡村さんが「順番抜かし!」と舞台に上がりお笑いレジェンドが全員舞台上に揃うという2度と見られないであろう光景がTVで放映されていました。
改めて見てもすごい映像ですね。
まとめ
- 笑っていいとも!は月〜金正午から1時間タモリさんMCの32年間続いた生放送のバラエティ番組
- メインは様々なジャンルの芸能人がタモリさんとトークするテレフォンショッキング
- 32年間続いた生放送だけに放送事故も多数あり
- グランドフィナーレではタモリ・さんま・とんねるず・ダウンタウン・ウッチャンナンチャン・爆笑問題・ナイナイが揃う豪華な1日に。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。
また次回もお楽しみに〜